であったから、それを寄親に頼んで入門が出来た。この入門は稽古場で先生に面会をするだけのことで、それから先生と高弟達の宅を訪問して頼むのである。この事は学問所の時にも同じで、おもな教官のうちへは回ることになっていた。
武場は、藩地では地べたでする事になっていた。上には屋根が無いが、樗《おうち》の木が多く植えてあって、それでいくらか炎日を避けることは出来た。雨天は武場は休みであった。私の入門した頃はもう寒い頃であった。武場に入れば、直ちに裸になり、薄い木綿筒袖繻袢の腰までのを著、それに古袴をはくのである。そして先輩の人につかってもらい、時々は休む。同等の者が互角試合というをやる事もある。
やがて寒に入って、寒稽古が始まった。面小手腹当竹刀の外に大きな薪を一本ぶら提げ、朝の弁当も持って、朝暗いうちから出かけるのである。薪は或る場所へ集めて火をたいて温まるのであるが、周囲は先輩が占領して、我々は火に遠い所で震えていたものである。そのうち粥が大きな二つの桶に運ばれる。それに沢庵が大切りにして附けてある。これも先輩がさきへ食ったが、しかしかなり普及していた。この粥は一般の武場へ藩から奨励の為に
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