鹿を得た家でも十分に一家で食うことは出来なかった。かかる有様であるから、ヤマクを弁当の菜に持って行って、皆が騒ぐのも無理はない。
 私は撃剣へ入門をしたが、試合は頗る下手で、同輩と勝負しても常に負けた。頭をドンドン叩かれるのも痛いものであった。強く叩かれると土臭い匂いがする。それに反して、カタはうまかった。その頃カタのことをオモテといった。入門すると或るカタを習って、進むに従って段式というを貰って、段式相当のカタを習うことであったが、私のカタが一番よいといって、先生がいつも誉めてくれた。
 その翌年の春に、君侯の御覧があった。君侯は学問所へは月に二回ずつ来て講釈を聞かれ、武芸の方は春秋二回御覧があった。この時は各流が日をかえて御覧に供するのだが、いずれも晴の場所として技倆を競ったものである。君侯が江戸詰をして居られる一年は、家老が代理をして、これを見分といった。この以外に目付の見分もあった。この御覧には、十五歳以上でなくては出られぬのであるが、学問所の方で三等を得ている者は、年が足りなくても、特に出ることが出来た。そこで私はすでに三等を得ていたから御覧に出て試合をしたのである。私の相手
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