に入れて、人に托して間違なく金毘羅へ届けたものである。この手数は全く信仰からしたもので、それを私する者は決して無かった。今日でもそうであるが、船に乗る者は深く金毘羅を信じたものである。
私どもはかねて途中に金毘羅参詣をするという事を藩に願っておいたので、参詣をした。社は朱塗金金具で美々しいものであった。社前に夥しく髪の毛が下っていた。これは難船せんとする際、お助け下さらば髪を切って捧げますと誓った人が、後日捧げたものである。ここからまた船を出して、幾日かを経て、やっと藩地の三津の浜に着いた。
この着いたことを直ちに藩に届け、親類にも告げた。間もなく親類どもがやって来た。継母の里の春日からは使が重詰を持って来た。その使は、折柄|衣山《きぬやま》にさらし首があるので、まわり道をして来たといった。三津の浜から城下までは一里半もあって、その間に仕置場があったのである。
その晩は船で寝て、翌日上陸して、浜座敷という所を借りて、そこで入浴し、女連は髪を結いなどして支度をした。迎えに来てくれた親類がそれぞれ準備してくれたので、一行|悉《ことごと》く切棒駕籠に乗り、父は例の野袴をはいて、江戸から
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