っていて、常には藩地の三津《みつ》の浜というに妻子と共に住まっている。その下に水主《かこ》というものがある。これは藩地の海岸や島方などから、一定の期限があって、順番に徴発したもので、常には漁業などしていた。私どもの乗った船にも上には船手数人、下には水主が数人居た。それらの煮炊万端はもっぱら水主にやらせるので、船手は坐して命令するだけである。この両者は大変に隔があって、水主は悪くすると船手に虐《いじ》められる。それでもよく辛抱したもので、その状は私も目撃して、水主は可哀そうなものだと思った。
 私どもの乗った船は四百石ぐらいで、帆は七反帆であった。その帆は紺と白とをあえまぜに竪の段ダラ形で、これが藩の船印の一ツになっていた。風がよいと、艫の方で轆轤《ろくろ》でその帆を懸声をして巻上げる。帆が上がり切ると、十分に風を孕んで船が進む様は、実に勇ましかった。追風でない時は、『ひらき帆』といって、帆を多少横向きにして進むが、風が全く横から吹く時は、直行が出来ないから、右に左に方向をかえて、波状線を画いて進んで行く。これをマギレという。右に向いたのが左にかわる時には、船は殆ど直角に向き直る。すると
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