ので写し本で貸した。種々な人情本や三馬《さんば》等の洒落本もあり、春画も持って来るので、彼らはいずれも貸本屋を歓迎した。私も子供の時に親類の勤番者の所へ行って、春画を見せられたことを覚えている。彼らのこんな呑気な生活も、異人と戦争をする準備をせねばならぬ時に至って、追々忙しくなった。彼らは邸外へも出て調練などすることになった。
 異人について騒ぎ出したのは嘉永六年から安政元年にかけての事で、私の七つから八つの年へかけてであった。八つの年には、今度こそきっと軍《いくさ》が起るという噂であった。後に知った所によれば、交易を許さねば軍艦から大砲を打込むというので、こちらも対抗せねばならぬといって幕府も諸侯も騒いだ、武器の用意の揃わぬ藩では、役に立つ立たぬを問わず急いで武器を買集めた。私の藩邸は比較的武器の準備がよく出来ていて、侍以上の者は以前から年々武器の検査をされることになっていた。しかし実戦という事になるとそれは不十分なものであった。
 私の藩は今の鈴ヶ森あたりから、大井村、不入斗《いりやまず》村へかけての固めを言付かり、私の父もその頃側役から目付に転じていて、軍監をも兼ねるという枢要な
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