即ち当時の外交官が、多額の金子を持参し、駕籠に乗り供揃いで向島へ赴き、そこの用人に会って、田舎侍がかくかくの粗忽《そこつ》を仕りましたる儀何とも恐入る次第で御座りまする、どうか御許し下さるようと、ひたすら詫びをして、金子を出した。用人は奥に入り、やがて出て来て、『主人こと今日は珍しい客来で興を催した次第で御座る。』といっただけであった。賄賂のきき目は実に鮮かであった。留守居役は勇んで立帰り、一同も始めて安堵した。かの二人は割腹の覚悟をしていたが、まずまず命拾いをした。この二人のうち一人は私の父ぐらいの年輩で、吉岡某という者であった。今一人の名は忘れた。
勤番者はよく失策をしたもので、かの蕎麦屋で蒸籠《せいろ》へ汁をぶっかけること等は、少しも珍しい事ではなかった。勤番者は大概一つ小屋に一緒に居た。今の寄宿舎といった風になっていた。勤めも忙しくはないので皆無聊でいたが、さればとて酒を飲んで騒ぐことも出来ぬので、碁、将棋、または貸本を読んで暮した。貸本屋は高い荷を脊負って歩いたもので、屋敷でもその出入を許した。古戦記の外小説では八犬伝、水滸伝、それから御家騒動は版にすることは禁ぜられていた
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