も出来た、即ち先進者では高橋健三氏、それから岡倉覚三氏木場貞長氏沢柳政太郎氏渡辺董之助氏などである。こんな事で私は最《も》う独り舞台で働くという訳でもなく、また唯一の知己たる、江木千之氏は内務省へ転任してしまったので、何だか寂寞をも感じ、いっその事辞職して閑散の身分になり、精神の保養かたがた寄宿舎の監督位を勤めようという気になった。而してもう恩給年限に達していたから、その給与を受くれば、その頃は物価も安く、監督役宅に住えば家賃もいらぬという訳なので、遂に決心して辞職をした。辻次官は頗る留められたし、大臣は芳川顕正《よしかわあきまさ》氏であったが、これも多少厚意を寄せられたのであるけれども、私は役人生活が嫌となるともう一日も勤める気がなくなって、遂に止める事になった。これは廿四年四月である。
 それ以来私は寄宿舎の監督のみを職務としていたが、そう日々の用向きはないので、それからは運動のため日々当てもなく東京市中及び近郊を散歩する事を始めた。而して東京市の彩色の無い絵図面を持っていたのを、散歩の度に通った道路に朱を引きそのため用もない道や、わざわざ廻り道などもして、段々と図面が赤くなるのを
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