ないという事を知っていたから、最前地方官会議の随行中文部省に出頭した時もこの意見を述べるし、また九鬼文部大輔にも面会してこの事を話して置いた。けだしこれは他の地方からも私と同じ意見を申し出た者が多かったろうと思う。そんな結果からか、田中文部大輔が法制局へ転任して河野敏鎌氏が文部卿となり、九鬼氏がそれを輔佐せらるる事となった際、遂に強迫就学と学費も租税同様賦課せしめらるるに至った。これが十三年末の大改革で、改正の教育令といった。ちょうどそこへ私は文部省へ転勤したのであるから、主としてこの改革に関する施行規則等の調査に従事した。まだその頃は大学卒業の学士などは一人も官吏となる者はなくて、多くは古い漢学や変則洋学を修めた人達であるから、私の如き自己研究の聞噛り学問をした者であっても、いくばくか用に立つ、また理論を徹底せしめるという事は私の今でも得意とする所であるから、そんな事で位地の低いに関らず、意見は充分に立てる事が出来た。ただ江木千之《えぎかずゆき》氏が先進者でその頃二等属から一等属になっていたが、これが唯一の議論敵で、それだけ互に親しくもしていた。その後も江木氏が何か主任となって調査す
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