る時には、必ず私を係員にして意見を聞かれるので、私も用捨なくそれを述べて頗る知己としていた。それから局長は辻新次氏で、副局長は久保田譲氏であったが、これも私の事務を調査する上には他の人よりも長所のあるという事を認められていたらしく、久保田氏は能《よ》く人を叱り付ける風であったが、私だけは幸に優待を蒙っていた。そして私の性質としても引受けた事は、飽くまで努力して充分やらねば気の済まぬ風であったから、他の人よりは数倍の用向を引受けてそれぞれに調査を遂げていた。暑中休暇の如きも、他の人は休んでも私のみは一日も休まずに勉強した事もあった。
この教育令の施行規則は文部省から随分と綿密に干渉して殆ど地方官には何らの活用もさせぬというような風であったので、地方の当局者は時々上京して不平を述べる者もあったが、それに対しての答弁は私が多く引受けて、聞き噛りの独逸《ドイツ》や、米国の或る州の学制などを引用して正面から喝破した。その頃私は独逸主義の国家教育制度を一も二もなく信仰していたのであった。
私は幸に文部省の位置も段々と進むし、多少生活も豊かになったから、いつまでも久松邸の御厄介になっているのも恐
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