《とうざん》に嘉平次平の袴位を着るし、あるいは前にいった、地方官会議の随行の時新調した、モーニングコートを着ることもあった。靴は半靴を好んで穿いた。これは往来の遠いため早く損じて度々新調したものである。それから家族の衣食もそれに准じて粗末なもので辛棒させて、魚や肉などは余りに買わないで多くは浅蜊《あさり》や蛤《はまぐり》または鰯売り位を呼込んで副菜にし、あるいは門前の空地に生い茂っている藜《あかざ》の葉を茹でて浸し物にする事もあった。顧るに私の一生で生活の困難を感じたのは、この頃が最も甚だしかったように思う。しかしその年末に三等属に昇り、その翌年は二等属に、また翌年は一等属に昇るという風に、漸々と収入は増したのだけれども、都会生活だけにやはり苦しい事は苦しかった。
 翌十四年に副局長の久保田少書記官が、神奈川、埼玉、群馬三県へ巡回する随行を命ぜられたので、それらの地方の学校その他の様子を見る事が出来た。この時神奈川の或る小学校で、教育上に関して久保田氏の代理として演説をする事になったが、或る拍子に詞が滞ると共に思想が散漫して後の語が継げず、頗る不体裁をしでかした。尤も私は藩の学校などで
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