忘れたが、とにかく家族を連れて当地を発して東京へ赴かるるので、私も家族を連れてそれと同行した。この航海は神戸からは三菱会社の船の東京丸というに乗った。この一月に上京する時は、名古屋丸というに乗った。いずれも米国から買入れたので、名古屋丸は旧名ネヴァタ、東京丸はニューヨークといったのである。この途中神戸で楠公神社へ妻と共に参詣したが、福原には妓楼なども出来ていて、旧観を更めていたのに驚いた。それから東京へ着いては兼て願って置いたので、日本橋区浜町二丁目の旧藩主久松伯爵邸の御長屋へ住むことになった。
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十七
私はこの年の歳末に、久松家の麻布長坂の別邸へ、行くようにとの事であったから、そこへ移った。その頃は東京の物価も余り高くない時であったが何しろ五十円の収入が四十円に減って、しかも都会生活をしなければならぬというのだから、随分困難であった。私の家庭は前にもいった、長女長男の外になお次女せいというを挙げていたので、その頃は親子五人の暮らしであった。それからここへ来ると文部省へは一里と十丁ばかりの距離であるが電車もない時代とて、それを日々歩いて勤めた。衣服も多くは唐桟
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