教授の手伝い位をしていたから、私の母方の従弟中島勝載と共にこの演説会に加わって、かなりお喋りをしていた。かような風で、愛媛県下は殆んど同志社の主義の下に立って、暗に政府に反抗する如くにも見えたので、政府はその頃自由民権論に対して多少鎮圧を加えねばならぬという事になっていたから、終に岩村県令も内務省の戸籍局長へ祭り込まるる事になった。
 右は明治十三年の夏に入る頃であったろう。その以前一月には始めて地方官会議というが東京に開かれて、府県の長官もしくは代理の次官を集めて、或る問題を出して評議させらるる事になった。議長は元老院の副議長の河野|敏鎌《とがま》氏で、議案はおもに内務省、大蔵省から出して両者の大書記官が番外員として説明に当った。そこで岩村県令もこの会に加わるために上京せらるる事となって、私に随行を命ぜられたから、またまた東京を見る事が出来た。この会場は和田倉門外|龍《たつ》の口の或る旧藩邸の跡の古建物を用いられ、三室位打ち抜いた長方形の内間に、白木綿を掛けた粗末な板の卓が並べられて、椅子も粗末な籐椅子であった。そうしてその三方の縁側には、本省の官吏や府県の随行員や新聞記者が数多並ん
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