てた沖の日振島《ひぶりじま》というにも小学校があるので、そこへも行ったが、最近は大分地方の大砲の音がよく聞えるという事であった。この日振島は昔し天慶の乱に、伊予掾純友《いよのじょうすみとも》が遥に将門に応じて兵を起した根拠地であると聞いたので、目前の西南騒動と思い合せて一種の感慨に打たれた。
 西南の騒動はヤット鎮静したが、その頃我愛媛県は讃岐国をも合併していたので、私はその方の学校の視察にも赴く事になった。この地方で高松人は、早くより土州の立志社に共鳴してその支社を開いていたから、それらの人々は旺《さか》んに演説会を開いて自由民権の唱道をしていた。因て県庁から出張した私などは時々あてこすり位は聞かされた事があった。
 しかし自由民権といえば松山の変則中学校の草間時福氏も慶応義塾出身だけに、随分主張していた。のみならず岩村県令も同志社の親分株の林有造氏の実弟であるから、これもその主義は頗る賛成であった。そこで、県庁の下においても草間氏が率先して演説会を開いて自由民権を主張する、先生がそうだから、学生などもそれに加わりなお一般の松山人にも熱心な運動者が出来た、私の末弟の克家も変則中学校の
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