の中学科の制には一致する事が出来ないので、これを変則中学と名けた。この変則中学校には草間氏の周旋で更に西川通徹氏とかなお一、二人の英書の助教を雇ったのである。
 そんな事で愛媛県も初等教育と中等の教育とは、どうかこうか施す事が出来たので、私は彼方ら此方らと巡回して、主としては小学校を視察した。小学校ではいつも臨時試験を行って、私はかつて師範科の伝習を朧気ながら受けていたから、自ら教鞭を執り、ボールドに向って、白墨を使い、生徒の試験をしたのは、今から思えば可笑しい。
 この年妻が長男を生んで、健行と命名した。
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   十六

 ちょっと前へ戻るが右の師範学校長を雇うために上京した時、暫く滞留したので例の芝居見物をしたのだが、折節守田|勘弥《かんや》が猿若の小屋を新富町に移して改良劇場を作って、作者は河竹黙阿弥を雇いいわゆる活歴物を多く出していた。私の見たのは仙台萩の実録とかいうので、先代彦三郎の原田|甲斐《かい》、仙台綱宗、神並父五平次、先代|芝翫《しかん》の松前鉄之助と仲間嘉兵衛、助高屋高助の浅岡、板倉内膳正、塩沢丹三郎、先代菊五郎の片倉小十郎、神並三左衛門、茶道珍斎、
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