御受けをする事になったが、家令などという職名はいやだといって、御用掛位な位地で上京する事になった。そして幸だからというので、父の使用かたがた英学の修業をさせるために、弟の大之丞を召し連れた。この頃久松家には芝の三田邸を売却されて、日本橋浜町の旧水野邸を買って住居されていたので、父もそこへ寓居した。ついでにいうが、当時はまだ衛生などという事は知らず、ただ交通の便利々々という事のみを誰れもいうので、久松家にもそれに感染せられたのであるが、三田邸は二万数千坪もあって、高台であるし、現今では松方侯爵その他が分割して東京でもよい邸地といわれているのだが、それを僅に三千何百円とかで人手に渡してしまわれたのは実に惜しい。これに反して、浜町は土地が低くて湿気も多いし、水も悪いし、大火ある度に風下となって延焼する虞れもあるというので、その後またまたそこを売却されて、現今の芝公園の紅葉館の隣地へ転任せらるる事になった。この地は鍋島家の末家邸であったかと記憶する。
この年の十月太政官からの学制頒布があった。それで大学中学小学などという学校の制も定まり、就中小学校は各地にあまねく設置して、一般の児童は事故な
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