き者の外就学せねばならぬ事になった。尤もこの頃は府県に大区小区を置かれて石鐵県は一大区から十五大区まであって、各大区の下に従来の町村を幾つずつか合した小区があった。そうして学制においてもっぱら小学校設置等の事に当る学区取締というのを、他の府県もほぼ同様だろうが、石鐵県は大区ごとに一人を置いた。そこで私は旧藩で学政専任の権少参事でいた関係から、その学区取締を命ぜられて、県庁所在地の松山、即ち第十五大区の学区取締となった。その位置はまず大区長と相対するものなのだ。それであって給料はたった八円、しかし私の家計にはこれでも大分の資《たす》けになった。間もなく大区を合して区域を広められた際、私は松山以外の郡部の学事をも担当することになったが、これまでに例のない小学校というものを創設するのだから、なかなか困難であった。尤も松山は、士族仲間に従来子弟を学問させた習慣もあるので別にやかましい事もなかったが、それも町家となり、更に郡部の農家となると、僅に習字を教える寺小屋位の外学問をさせるという例がないので、全く余計の干渉をして農商業の妨げをすると思い、随分不平を述べた。それを大区や小区の役員と共に私は
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