貧富に心を動かさぬ性質だから、自分は頗る平気で居た。その頃旧藩の学校の教員仲間が互いに団結して、経費は月謝を当てにして、旧校舎をそのまま借りて、漢学や洋学数学を教える場所を設けていたので、私もそこの漢学教員の仲間へ加えてもらった。なんでも給料は一ヶ月旧藩札百匁(今の五十銭位)であったろう。旧藩の頃雇い入れた英学の教師稲垣銀治氏もまだそのまま居たので、私は右の漢学の教員を勤める傍、わざわざ東京まで行って果たさなかった英学を幾分でも修めたいと思い、この稲垣氏に就いて、それを習う事にした。そこで、ピネオの小文典とかマンデヴィールのリーダーとか、理学初歩とかを幾分か習って、なお聞きながらに翻訳もして見た。が稲垣氏は間もなく松山を去って東京へ行ったので、私もそれ限り英書を習う機会を失ってしまった。
この頃は旧藩知事の久松家は東京に住居せられていたが、何分旧大名風の生活が改められないので、経済の点にもよろしくないから、この改革をなすには是非とも私の父を上京させたいという事になった。父は度々いう如くもう世務に関する気はなかったのだけれども、久しく仕えた君家のためとあっては、辞退する心にならず、終に
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