も引取った。その後諸郡では、この上は各総代を上京させて、朝廷へ直接に知事の留任を願おうという事に申し合った。これは松山町でも同様で、町人の総代数人を上京せしむる事になった。
この知事留任の一揆騒動は他の藩にも多くあったので、既に南隣の大洲藩でもなかなかの騒ぎであった。一揆の全部は既に藩庁を取囲むに至ったので、権大参事の山本某というもっぱら藩政の枢軸に当っていた人が、自ら割腹して一揆の反抗心を暫く[#「暫く」はママ]鎮めたという報にも接した。
しかしいずれの藩も一揆の気焔は間もなく鎮静して前知事はいずれも上京せらるる事になったので、私の藩の知事久松定昭公もいよいよ上京せらるる事になった。少し前に遡っての話しだが、定昭公は最前もいった如く、年壮気鋭の方であったので、既に王政となった上は、またこの下に充分尽力して、かつては幕府に効した力を以てこれからは朝廷に効したいと思われ、養父勝成公に代って藩政に臨まるるに至っては、われわれ大少参事を率いて充分に藩屏の任を揚げんと欲せられたのである。ついては近傍の藩々の知事も同僚であるから互に藩治上の打合せをするため、まず同姓である北隣の今治藩へその事
前へ
次へ
全397ページ中271ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング