随分抗弁もしたが、それも充分に聞き入れつつその心得違いである旨を申し聞け、結局互の言い白らけでその日は引かせたが、中野権太丞も頗る満足して、なお私どもに取扱方を注意して置いて藩地を出発した。けだし他の囚徒を預っている藩々へも赴かれたのであろう。何しろパークス公使の圧迫のためには、日本全国に建てられていたいわゆる三札の中の『切支丹邪宗門禁制之事』とあるのを、『切支丹禁制之事、邪宗門禁制之事』と二行に書き改められた位だから、右の如く宗徒の取扱を寛大にせらるる事になり、わざわざ外務の高等官が、諸藩を廻るという事になったのも不思議はない。そうして、これは後の話しだが、廃藩置県となった際、この信徒は石鐵《いしづち》県へ引継いで、それから間もなく朝廷より放免の御沙汰があって元の長崎地方へ帰されて、切支丹否基督教もいよいよ黙許の姿となってしまったのである。
この四年五月妻は長女を生み、順と名づけた。
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十四
これは昨年大改革の後の事で、父は従来の勤労の関係から、旧家老などに亜《つ》ぐ待遇を得て二等士となっていたが、突然知事家より伊勢の藤堂家へ使者に行く事を頼まれた。それは
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