から、切支丹宗徒は無論厳罰にも処せらるべきであるが、既に外国と交際を開きその公使も来ているし、就中英国のパークスはこの信徒についても種々干渉するので、その取扱いさえ多少寛大にせねばならぬ事情となった。そうして少し以前長崎地方の切支丹信徒は或る藩々へ数十人ずつ分かち預けて、改宗の説諭をなさしめらるる事となり、我松山藩へも三十人ばかりの信徒を預かっていた。しかるに或る時朝廷からの御沙汰に中野外務権太丞がその藩へ出張するとの事で、間もなくその一行が到着したが、その用向きは、兼て預けてある切支丹信徒の事であった。しかるに、藩では、かつては厳刑に処せらるる位な者の事だから、凡てを獄屋へ入れ、男女も区別してあった。因てその事を答えると、さように過酷に扱ってはならぬといわれ、なお説諭方等の事も聞かれたが、実の処藩ではそんな事も余りにせないで、特別の掛員さえ設けてなかった。そこで俄に私へ学校係の外異宗徒取扱係という兼務を命ぜられた。そうして、権少属の和田昌孝氏史生の伊佐庭如夫氏にも同じ命があった。そこで、まず中野権太丞を案内して、獄屋において切支丹信徒の状態を見せた。この獄屋は城下外れの三津口にあって
前へ 次へ
全397ページ中255ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング