ての藩兵で仏式に編成するとまず一大隊位のものが出来たので、その上長官を少佐と呼んで、それには、私と同務であった、東条氏が自ら好んで任ぜられた。そうして、その代りに村上質氏が入って来た。この人はなかなか才物で軍政上や武蔵氏の応接等も巧くやっていたようである。これらは多く明治四年の事で、今回の大改革を決行したのは前年の閏十月であった。その大要をいえば、従来の門閥を悉く廃止し、最近の位置の等差に依って、一等士から十等士までの待遇を与え、従来の士分と徒士と、これに准ずる十五人組とを一般に士族と呼び、士分以上を旧士族、それ以下を新士族と分けた。旧士族は一家に付二十俵と、家族一人に付一人半扶持を与え、新士族は一家に付十俵家族一人に付一人扶持を与えた。従って三千石の家老も、九石三人扶持という最下等の士も、士分は同じ収入となったのであるから、随分一同を驚ろかせた。尤もその際一時に一箇年分の家禄は等差に応じて特別に渡したのである。それから今いった十五人組以下の無格、持筒、足軽、仲間の四段の卒は凡て暇を出した。そうして、その需用に応じて、新たに使用する者をやはり卒と称し、軍隊にもまた通常の事務にも従事せし
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