、これまでの大少参事の外、大属少属、史生、庁掌、を置かれて、なお、藩知事の職権も制限せられ、或る事件以上は一々朝廷の指揮を仰がねばならぬという事になった。そこで、藩政もこれに準じて大改革を行わねばならぬという事になって、それには、私の父などはモウ局に当る気がないので、辞職する事になり、その他門閥家なども、文武両職とも段々と辞職する事になった。そうして引続き大参事でいたのは菅良弼氏鈴木重遠氏の二人、それへ新に抜擢されたのは山本忠彰と菅伝氏が権大参事、小林信近氏と長屋忠明氏が少参事、それから野中久徴氏東条○○氏と私が権少参事になった。以上の参事がまず藩政の内閣のようなものである。それ以下の大少属が、庶務、会計、治農、軍務、刑法、学校というように分科して事務を扱ったのだ。尤も少参事は正権共に一般の藩政に関係しつつ、また右にいった分科を主管する事になっていた。そこで、小林は会計、長屋は治農、野中は刑法、東条は軍務、私は学校を引受ける事になったので、藩の学政は思う存分に改革する機会を得た。予てのハイカラ病はいよいよ発作して従来の学規も教則もまた教官連をも凡てを廃止した。かつてもいった如く、藩学校
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