日目に伊賀を経て奈良に達した。この道は伊賀越と阿保越の二つがあるが、路の便から阿保越を取ったので、例の仇討の古跡は見ずに終った。奈良では猿沢池の傍に止宿して、翌日、春日の社や大仏その他を見物した。猿沢の池畔の、采女の社が池の方を向いて背面に鳥居の建っているのもちょっと珍らしかった。鹿はうるさいほどそこらを歩いていた、若草山は折からの若草で青々としていたけれども登らずに終った。奈良を立って路順なら直に大阪へ行くのであるが、ついでに京都も見たいという者があるので、伏見から道を転じて京都へ入って、三条橋畔の宿屋へ投じた。その翌日は祇園、清水、智恩院大仏、東福寺等を見物した。その頃の高倉の藩邸には留守居を改めて邸監といって、佐治斎宮氏というが住んでいたので、そこへも往って面会したが、我々は東京で文明の新空気を吸っているという誇りから、大気焔を吐いたので、先輩ではあれど彼れは驚いて沈黙していた。それから大阪へ下って、ここの邸監は皆川武太夫氏がいたが、ここでも気焔を吐いた末、一行には最《も》う旅費が尽きていたので、各々旅費の借用を申込んだので、皆川氏は少し渋面作ったが終にいくばくかを流用してくれた
前へ 次へ
全397ページ中244ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング