る時の様子が詳しく記してあった。これはその子孫が後年建てたものらしい。右手の川を隔てて林中に鳥居が見えたが、これは義仲の社であるそうな。この川はいわゆる木曾川で、連日我ら一行と伴って右側を流れていて、折々は岩石に触れて白い泡を吐き、高い叫び声も聞かせていた。また珍らしく見たのは、既に三月の初旬(旧暦)であるに、梅が咲いている。そうしてまた桃も桜も咲いていて、百花ごっちゃまぜの景色である。そうかと思うと岩陰には残雪が白く残っていた。こんな事を漢詩などにも詠んで、木曾海道の主なる嶮岨もやっと終ったが、最後に十三峠というを越した時もかなりに疲れた。これは麓で、一行が酒を飲んだ元気で折からの月夜に乗じて越したのであったから、一人の人間にも逢わなかった。人間といえば、碓氷峠を越して以来連日旅客らしい者には一度も出逢わない、出逢うのはその土地の百姓位の者であった。一体明治の最初はまだ戦争も終らなかったので諸藩の往来も頻繁であったが、昨年函館の五稜郭が落去して後《の》ちは、諸藩の兵も各引揚げて、上下交々一と休息という場合で、藩士などの往来は全く絶えていたのである。そこで私等の一行が道々つまみ喰いでも
前へ 次へ
全397ページ中241ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング