藤野立馬と昌平塾の同窓であるし、また山本もこの頃はそこへしばしば往来して親しくなっているから、それへ既に頼んだということで、私はいよいよこの水本塾へ入ることになった。この山本の旅宿は京都の東北の吉田神社の傍で、藩主の本陣は真如堂であったから、私もあちこち往来して、また藩主にも拝謁することを得た。そうしてこの度入るべき薩州邸は相国寺に隣してかなり広い建物であった。
 私は薩州邸の水本塾へ入ったが、同塾生は過半薩州人で、他に高松藩とか、鯖江藩とか、肥前鹿島藩とかの人もいた。塾長は小牧善次郎で、後昌業といって、現今は御侍講を勤めて誰れも知る人だ。また宮内省で久しく要路に居た長崎省吾も当時は助八郎といっていた。また海軍中将だかにまで進んだ黒岡帯刀もいた。塾生で漢学の力ある人では、右の小牧は勿論白男川勇次郎というがあり、詩をよくする方では、伊地知とか吉国とかいう人もあって、私も親しくなるにつれて応酬をした。この時代の事であるから、塾生一同はあまり勉強をしない。多くはよそで酒を飲んで帰って来て大声で吟声を発しまた時世論をする。それから夜更けて戻った者が、既に寝ている者を起して、雑炊会を始める。それ
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