は賄《まかない》を呼起して残飯を大鍋へ叩き込んで、それへ葱大根などを切交えて、それを啜り合うのである。酒は欲しいけれども多く得られなかった。そんな事で夜中もガヤガヤ騒ぐが、水本先生は少しも叱らなかった。また一定の教授時間があるというでもなく、時々書生を呼集めて、粗末な肴ながらも酒を振舞う。先生ももとより酒好きであったから、塾生等も何ら憚ることなく酒を飲んだ。私は藩地を出るまでは全くの下戸でツイ三杯も飲めばもう嘔吐するという位であったのだが、この塾生の多数に感化されて、いつの間にか飲み覚え、一合位は傾けることになった。尤もこうして自分も多少の気焔を吐かねば、他の人々と共に同塾が出来ないからである。しかし感心なことには、薩摩人はいい合わしたように他藩人に対すれば頗る温和に接して少しも圧迫することなく、むしろ懐柔しようという風であった。そこで私も別に居苦しきこともなく、また学力や詩才だけは段々と認められることにもなったから、日々面白く暮していた。
 一体牛肉を食うということは昔は無かったので、江戸でこそ輓近《ばんきん》西洋通の人は多少食ってもいたが、京都ではまだ四ツ足だといって汚らわしいもの
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