の命を受けた。そこで出発の際それを先へ立てて、北の城門を出ようとすると、忽ち番所の詰合の者が下座と呼んで一同で平伏するのみならず、常には閉じてある大扉を左右に開いて私どもを通した。これは徳川時代に御判物に対する礼式で今もそれを遣ったのだが、私は初めてこんな待遇に遇ったので、少々面喰ったが、また意気揚々たる感じもした。この旅行は別条もなくて京都へ達し、まず御判物を出張の藩吏へ渡して、私は従弟の山本新三郎の旅宿へ同寓した。当時、藩主勝成公は本領安堵の御礼として、上京されていて、山本は目付となっていたが、これも諸藩一定の職制を定められて公議人公用人という、その公用人をも兼ねていた。この役はもっぱら朝廷向やまた各藩に往来して、藩の朝廷に対する公務を弁ずる者である。そうして段々と山本の話を聞くと、私のこの度経学修業として京都へ来ることになったのは、他の一面には、諸藩の情勢にも注意して何か変った事があれば藩の当局へ報知することをも心得ていねばならぬのであった。そこでそれの便宜を得るには、勤王藩の首たる薩州邸へ入込むのがよいというので、幸にその邸内に水本保太郎というが漢学塾を開いていて、それは我藩の
前へ
次へ
全397ページ中221ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング