軍学者三鶴の孫だが、戸主たる兄が或る不心得から家名断絶となって、実兄の竹村家に養われ、そこから私の家へ嫁したのである。しかるに向井家断絶より六十余年後、ちょうど私が十一歳で江戸から藩地へ帰った時、右の兄なる人が八十以上の高齢でまだ生きていて、三津浜に潜かに住んでいたが、絶えて久しき妹に面会がしたいと人を以て申越した。すると曾祖母は、『家名を汚した人には生前に逢う心がない。』と毅然として拒絶した。女ながらこんな気性の人で、亡くなったのは八十九歳、それまで小病もなく、時々煩うのは溜飲位であった。而してその終りは全くの老衰で、何の苦痛もなく両手を胸上に合して眠るが如く逝《ゆ》いた。その状態は今も私の目に残っている。
 この年の末に私は小姓そのままで、経学修行として京都へ行けとの命があった。而して明教館からも七等に進められた。そこで私はいよいよ藩地外で漢学生々活をすることになったので勇ましく出発した。この頃従来松山藩へ幕府から与えている領地家督相続の証として黒印ある書面(即ち将軍の御判物)悉皆を朝廷へ納付せよとの御沙汰があったので、それを入れたる長持を私がこの京都行のついでを以て保護して行けと
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