に限って、古傘の紙をめくったのを諸方から集めて置いてこれに包んだものである。
 或る時、父の弟の浅井半之助という者に、鰻屋へ連れて行ってもらったことがあった。また知合いの中堀藤九郎という人が、シャモ鍋の店へ連れて行ってくれた事があった。大塚という内の子供とよく遊んだものだが、その家来が子供を連れて行くのに誘われて、永坂の更科蕎麦へ行ったこともあった。これらは人込みの騒がしい所で食べることであり、中堀や大塚の家来が酒を飲んで酔っ払うまで居たので、それが子供心に厭わしく感じ、早く帰りたくなって、食べる物も旨く思わなかった。
 父とは、料理屋は勿論、一緒に外出するということはなかった。この頃は男子は婦人と共に邸内は勿論邸外に同行する事は余りなかった。殊に父は藩の枢要の役をしていたから、なお厳重であった。私の知る所では、祖母や母なども、父と共に同行した事は一回も無かった。また男の子と女の子と一緒に遊ぶという事も出来なかったもので、ずっと小さい頃には私も山本の内へ遊びに行って、そこの女の子と時々遊ぶこともあったが、七、八歳の頃からはそれも出来なくなった。
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   二

 子供の頃
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