料理屋へ行くということも甚だ稀であった。或る年向島の花見に祖母はじめの女連れに連れられて行った。その帰り途に、浅草雷門前の女川《おんながわ》田楽《でんがく》で夕仕度をしたことを、珍しかったので今も覚えている。その内庭に池があって金魚が居たのを面白がって私は眺めた。その頃私の隣家に父の同役の松田というが居て、その細君が亡くなって、後妻を娶ったが、これが頗《すこぶ》る美人であるというので、屋敷内で大評判であった。その細君もこの花見に私どもの一行に加ったのであったが、後に継母の親戚の山本が来て、『松田の箱入美人を、菜飯《なめし》田楽へ連れて行ったのはひどいじゃないか』といって笑った。
この山本は、こういう戯言を吐くほど磊落な武人でよく絵を描いて、殆ど本物に出来た。私も時々この人の絵の真似をした。この人は、その頃はまだ多くの人の食わなかった獣肉をよく食べたもので、私の家でも時々は猪豚などを煮て、山本にも食べさせ、父や私も食べた。祖母などは見向もしなかった。
この肉は、江戸中でも、売る店が多くはなかった。私の藩邸近くでは、飯倉の四辻の店で買った。今の三星という牛屋がそれである。この頃は、肉類
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