場よりこの危機一髪の情勢を非常に憂慮せられて、或る夜などは二条城に終夜詰切って慶喜公に持重さるべきよう諫争された。尤も松平春嶽公あたりよりも同じ勧説があったので、慶喜公は遂に会桑侯等を率いて急に下阪せられることになった。そこで新藩主も共に下阪されることになったが、兼て朝廷より御召という命もあったのを、それにかかわらずかかる挙動を執られたので、既にこの時より朝廷向きの御首尾は悪くなった。
明くれば慶応四年即ち明治元年正月は、早々から彼の伏見の戦争が始まった。私は前にいう如く、父と共に藩地に淋しく住んでいたが、前年末より再び明教館の寄宿を命ぜられて、以前の如く漢学を勉強することになっていた。忘れもせない新年の六日に京都から右の伏見の事変の急報があったので、我藩は上下|挙《こぞ》って驚愕をした。而してまず援兵として藩の一部隊を差向けることになったので、寄宿舎の同窓友人たる武知隼之助というが、これも出陣することになって、その翌日見送をした。それからというものは我藩は人心|恟々《きょうきょう》としていたが、十日に至って新藩主が帰藩されたという事が伝って士分一同三の丸へ出頭した。そして聞く所では
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