、伏見の開戦以来幕軍は連戦連敗で、遂には大阪城へ籠城せらるることになり、慶喜公もその意を一般に達せられたにかかわらず、一夜会桑侯及び板倉侯を率いて、窃に仏国船に乗って江戸へ退去された。この際我新藩主には何の告知も無かったので我が上下共に非常に落胆した。かくなった原因を追想するに、まだ慶喜公が在京の時会桑藩は直ちに戦端を開こうとしたのを、新藩主は軽挙なきようと慶喜公へ建議せられ、その後公と共に大阪へ下られたとはいえ、会桑両侯は心に釈然たらない、しかも新藩主の実家たる藤堂藩は、幕府のために鳥羽を警戒していながら遂に官軍へ裏返ったので、これも新藩主に取っては、幕府に対して顔がよくなかった。尤も実家の藤堂兵を激励するため小姓で私の友人たる野中右門というを鳥羽まで遣わし、藤堂兵の隊長藤堂帰雲へその意を達せられたが、その頃はもう勅使が藤堂の陣中へ来ていて、方向は変じていたのであるから、野中には早々立帰るようにというので、やむなく大阪へ立戻ろうとした際、頭の上を幕府へ放つ砲弾が飛び出したということである。かようの次第で新藩主には徳川方より聊か嫌疑を受けられた結果であるか、遂においてけぼりを食わされた
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