配置した。尤も三津浜には早くより不充分ながら砲台が出来ていて、三十六|磅《ポンド》という大砲をすえ付けていた。私どものいる辻、沢村は城下と目と鼻の間であるが、それでも家族の往来は勿論、書状の一通も取交せはせない。これは武門の習いで、出陣すれば全く家のことを忘れるということから来たのだ。けれども家来などの使いは漸々と往来することになって、私の好きな食物位は祖母から送ってくれたこともあった。
そのうち家茂将軍は薨去せられるし、孝明天皇も崩御遊ばされたので、休兵という達しがあったから、世子も終に城下へ引揚げられて、二の丸へ帰住せられた。そうして我々も自宅へ帰って再び家族に対面した。けれども自分も戦《いくさ》に負けて帰ったような姿なので、浮き浮きせず祖母始めの顔を見ても別に嬉しくもなかった。それからわれわれの勤務上も常より多くの数で二の丸へ詰めた。その外の役々を始め諸士も二の丸、三の丸に大勢詰めて、これらの人々は皆陣羽織を着用して戦時の警戒は解かなかった。或る夜などは、サァ長州兵が三津浜へ来たといって、城下が騒ぎ出して、私の父は直に馬で三津浜へ馳け付けたが、それは外国船が沖を通過したのを見誤
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