焚く。ほのかに島人なども浜辺に集うて居るのが見える。これに対する快味は今日の人では判るまい。なお岩城島の山頂で世子の船が見えたというと、狼煙《のろし》を揚げる。それから主なる島々が受継いで、三津浜の向うの興居島《ごごしま》に達する。この狼煙に因って、それぞれ出迎え等の準備をするのである。世子が三津浜に着すると、船番所というがあってその座敷で休息する。そこへ家老一同が城下から来て拝謁する。それから行列を調えて城下へ入り込むのである。が、この頃は多事の世の中にもなっていたから、行列などは多少省略されていた。供に附く者なども昔の如き服装をせずむしろ陣中だという様子にしていた。
松山城は、本丸と二の丸と三の丸というがある。かつてもいった、加藤嘉明がこの城を築いて本丸やその周園の[#「周園の」はママ]櫓等が出来た頃に、会津へ転封されて、その後を蒲生家が貰ったので、まだ出来てない二の丸を造った。この蒲生家も暫時で亡《ほろ》びて、その後を松平隠岐守即今日の久松伯爵家が貰ったので、更に三の丸を造られた。そうして藩主は常にこの三の丸に住居せられたから、世子はいつも二の丸住居となっていた。
この二の丸
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