では自ら買い物するという習慣が余りないので、なんだか本屋へ行くのも間の悪い気がして、それも買い得なかった。これは次の旅行からは、多少腹が太くなって、色々漢籍を購うこともして、それを買い過ぎたといって父から叱られたこともあった。
家茂将軍の再征は、誰れも知る如く、種々なる事情があって、将軍は京阪に滞留したまま進退|谷《きわ》まるという立場になられたのであったが、終に長防へ討入りという事になったので、松山藩は海路四国の先手を命ぜられた。そこで世子は父たる藩主のこの軍事を補佐したいといって、幕府に願われたので、帰藩する事を許された。
そこで我々どもも世子に従って京都を出発し、伏見からは、小船で大阪へ着き、それから、藩の方から廻してある関船やその他の船に乗った。尤も君側の者は、前にいった当番をせねばならぬのだから、常に世子の関船に離れないようにしていて、この船も御召し替えという同じ型の関船であった。私は十一歳の時から既に大阪と藩地との航海をした位であるに、船には最も弱く、モウ乗ったと思うと心地が悪くなる。こういうと、それは覆没を恐るるからだという人もあるが、いかに風波のない時でもやはり酔う
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