。この宿番は小姓の外側役も一人居る。側医師というも一人居て、これは小姓の中へ交って不寝番もせねばならなかった。医者で思い出したが、私の京都に着した頃から、風邪が流行していて、我々の同僚も風邪に罹り、遂に前後して誰一人罹らぬ者もないようになった。こんな時は無論引籠りといって、届さえすれば本復するまで勤をせないでもよいのである。私も数日床に就いた。この同僚の居る所は、二十三、四人が三室ばかりに襖を外したままで居るのだから、寝床を敷けば殆んど足の踏場もない位に窮屈であった。そんな風だから風邪の伝染しやすいのは尤である。この頃の風邪の薬は例の葛根湯で、少し熱が強ければ、セキコウを加える。咳がすれば杏仁を加える。この外多少蘭方を知っているものは、葛根でなくて茅根を用いて茅根湯といっていた。
前にもいう如く、小姓の勤めといっても随分暇があるのだから、その時は外出も勝手次第にしていた。遥か前の号で、江戸藩邸の勤番者の非常に外出の束縛を受けていた事を話したが、この頃はこんな旅行の出先では、余り束縛もなく全く出入自由である。けれども、将軍再征に関する陣中ということは誰れしも心得ているし、長だった者から
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