をして拵えさせた時もあった。まず朝は漬物、昼は煮菜と漬物というあたりであった。そして毎日その頃の七ツ時から六ツ時までは帰省といって、宅の父兄の機嫌を訪ねに戻る例であったから、夕飯だけは各自宅で食った。その出入は当番の先生に一々報告した。また夜遅くなるとか、宅に止宿するとかいう時は、理由を述べて先生の承認を得たのである。かく二度の食事は寄宿舎でするのであるが、若い連中のこととて、菜は少量で不足する。そこで武芸の稽古場へ行くとか自宅に帰っている者とかがあると、これはもう余ったのだと、他人の膳に箸をつけて二人分をたべる。あるいは二人でそれを分けてたべる。そして舌打している所へその本人が帰って来て、大いに面目を失うことも随分あった。また飯も一つの小さい飯櫃で銘々に与えられていたので、大食の者は足らないから、小食の者のを貰って食う。何某は小食だからいつも残飯があるとて大食の者にねらわれた。私などもそのねらわれた一人で、恩恵を施していたものである。
 かくてその年も明《あけ》たが、彼の京都で長州兵が禁門に発砲したことがあったり、その前後も藩主や世子は京都江戸へ奔走されていたので、兵員も多人数を要す
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