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かくて私は雨を侵して三里の道を駕に乗って京都に入ったが、その頃世子の旅館は、高倉の藩邸は手狭なので、別に寺町の何とかいう寺を借り、それを東海道などの旅行の時の如く本陣と呼んでいた。そして随行の人々は別に近所の寺院を宿にしてこの本陣へ日々交代して勤めていた。因って父もこの随行者のいるある寺にいたので、私はそこへ到着したのであった。しかしその前に世子は既に江戸に行かれたので、右の寺に残っている者は父以下少数の人であった。私は着くや否父の病床に駈込んだが、その時熱をおしていた上に雨の冷気に侵されて、体が麻痺したようになり、ろくろく口も利けぬようになっていた。でも何とか少しばかり見舞を言う。父も私を見てさすがに喜んで、色々温言を与えてくれた。父の病気は幸にもう快方に向い、予後を注意するという位になっていたので、わざわざ看病に行ったけれども、私は何の用もなくなったが、それだけ安心もしたのである。
父は御目附の外御側御用達を兼務していたから、この度の如く世子が京都へ行かれて朝廷や幕府の間に多少の斡旋奔走せらるる際は、別して補佐の責任も重かったため、病気を押した結果、遂に大患にもなったのであ
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