一体、藩士においては私用の旅行は一切ならぬ事になっていたから、同じ伊予の国内で僅か三里隔る大洲領内へさえ、一歩も踏込む事は出来なかったのである。まして遠方へ旅行するなどは、勤務している者は勿論、その子弟では家族の婦人でも一切出来ぬことであった。が、ここに取のけがある。それは神仏の参詣、即ち伊勢大神宮とか、隣国の讃岐の金比羅とかへの参詣は、特に願って往復幾日かの旅程を定め旅行を許される事があった。その他父母の病気が重態で、看護を要するという場合を限り、その父母の居る地へ旅行する事が出来るので、これは勤務している者を初め、一般家族にも許されていたのである。しかし婦人は誰もした例がないが、男子にして十五歳以上にも達していれば、是非看病に行かねばならぬ位の習慣になっていた。
 そこで私もいよいよこの旅行をする事になったが、前にいった十一歳で江戸から帰り、その年から翌年へかけて京都の往来をした外には久しく旅行する事もなく、またこれらの旅は父を初め家族が同行したのであるに、今度は独行せなければならぬ。今日では藩地から京都へは一日足らずに達する事も出来ようが、その頃は船の都合が好くても四、五日、も
前へ 次へ
全397ページ中132ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング