るし必死の場合となった。その中に名を呼ばれたので、モウ破れかぶれと中央へ進み出て、見台に対し、いよいよ講義を初めた。それは論語の仲弓為季氏宰、問政、子曰、先有司、赦小過、挙賢才、云々の章であったが、私は自宅で度々練習して行ったから、そのままサラサラとやってしまった。存外渋滞もせずに終って、座へ退いて他の処へ行くと、私の講義を聴いていた水野が、『立派に出来た、好かった。』と喜び顔をした。それから耳を聳《そばだ》てると彼方でも此方でも『助さんの講義はよく出来た、驚いた。』というような囁きが聞える。それほどの成績とは自ら知らなかったが、それでは自分もなかなか講義が出来るのだと思って、さて外の者の講義を聴くと、時々いい損なったり行詰ったりして見苦しい態を演ずるのもある。ここに至って自分の漢学が、素読のみに止まらず、進んで講義をする事においても人に負を取らないのであると思うと、それでは一番奮発して勉強しようという気が起り、今まで明教館へ行っても昼間の独看席へは出なかったものがそれからは日々出席し、漢籍も多方面に亘って読むことになった。
明教館では表講釈と称えて君公初め一般の藩士が聴聞に行く事は
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