わった。これは父の実家たる菱田というが住んでいたが、この際外へ移ったので、その跡をそのまま賜わったのである。これもかなり旧い邸ではあったが、傘屋町のものに比すれば、聊か好いので、家族等も少々安んじた。この邸は南堀に沿うた土手の下で、土手の上には並松が植っているし、裏面には櫨《はぜ》の木が植っていた。紅葉する頃になると坐っていてそれを眺める事が出来た。私が漢詩の方で今も南塘と号しているのは、この南の土手の陰に住んでいたからである。
かく藩地に住む事になったので、私も久しく京都に住んで廃していた文武の修行を再び継続せねばならぬ事となった。殊に読書は私も得意としていたのであるが、一時京都の空気に触れて、芝居や義太夫、乃至落語等に浮かれていた故、藩地へ帰り多くの朋友と出会って見ると、聊か後《おく》れている気がする。そこで再びそれに負けまいという気が起り、いよいよ漢籍の素読を勉強する事になったので、その年から翌年へかけて素読を全く了って五等を貰った。それからは助読といって先生を助け、未だ五等にならぬ輩に素読を授けてやるのである。何だか一つの位を得たような気がして、私も嬉しかった。而してかように
前へ
次へ
全397ページ中105ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング