先生の助けをする者は、同年輩の者にも数多あったが、多くは読方を忘れて先生から叱られたり、訂正されたりした。私にはそういった失態はなかった。素読を受ける生徒の方でも、なるたけよく読める助読の人を選んで出る風であったから、私はその選ばれる主な目的となっていた。これも少しく心の誇りとしていた。
前にもいった武知先生の塾へも相変らず手習に行ったが、傍ら蒙求とか日本外史とかいうものを自ら読んでは、分らぬ所を先生に質《ただ》す事もした。読書力にかけてはこの塾でも私が威張っていた。こんな事で暫く漢学の方を修行したが、武芸の方となると相変らず拙《まず》い。それでも厭々ながら橋本の稽古場へ毎日通って、稽古を励んでいたから、藩地の武場では段式といったその階級も追々進み、最初『順逆』から『霊剣格』『剣霊』という辺りへも行った。これらの段式に応じて許さるる型がある。その型だけは、先生の注目を受けて、まず優等という方であった。けれども実地の撃剣が拙かったから、武芸の側では朋友に対しても自然侮られるので、いよいよそれを厭うようになった。
私の今の母というは、前にもいった通り継母で、実母は私が三歳の時に没した。
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