と通りかかつて、私の椅子の側に腰をおろした。二人は熱心に、笑ひながら、羞《はに》かみながら嬉しさうに囁《ささや》いて居た。それから立ち上り、手をつないで行つてしまつた。始めから彼等は、私の方を見向きもせず、私の存在さへも、全く認識しないやうであつた。
 都会生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活――群集としての生活――なのである。その同じ都会の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、何処《どこ》へ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり並んで坐つてる、浅草公園のベンチの上にもひろがつて居て、灯《ひ》ともし頃の都会の情趣を、無限に侘《わび》しげに見せるのである。
 げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての綜合《そうごう》した意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、為《な》し、味《あじわ》ひ、人人と共に楽しんで居る。心のいたく疲れた人、思い悩みに苦しむ
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