余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷《とうごう》大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
 「余は、余の為《な》すべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。
 それ故《ゆえ》に諺《ことわざ》は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善《よ》しと。だが我我の側の地球に於《おい》ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。
 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!(『行動』1934年11月号)

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 群集の中に居て
      群集は孤独者の家郷である。ボードレエル

 都会生活の自由さは、人と人との間に、何の煩瑣《はんさ》な交渉もなく、その上にまた人人が、都会を背景にするところの、楽しい群集を形づくつて居ることである。
 昼頃になつて、私は町のレストラントに坐つて居た。店は賑《にぎ》やかに
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