。次第に彼は放蕩《ほうとう》に身を持ちくずし、とうとう壮士芝居の一座に這入《はい》った。田舎廻りの舞台の上で、彼は玄武門の勇士を演じ、自分で原田重吉に扮装《ふんそう》した。見物の人々は、彼の下手《へた》カスの芸を見ないで、実物の原田重吉が、実物の自分に扮して芝居をし、日清戦争の幕に出るのを面白がった。だがその芝居は、重吉の経験した戦争ではなく、その頃|錦絵《にしきえ》に描いて売り出していた「原田重吉玄武門破りの図」をそっくり演じた。その方がずっと派手で勇ましく、重吉を十倍も強い勇士に仕立てた。田舎小屋の舞台の上で重吉は縦横無尽に暴《あば》れ廻り、ただ一人で三十人もの支那兵を斬《き》り殺した。どこでも見物は熱狂し、割れるように喝采《かっさい》した。そして舞台の支那兵たちに、蜜柑《みかん》や南京豆《ナンキンまめ》の皮を投げつけた。可憫そうなチャンチャン坊主は、故意に道化《おど》けて見物の投げた豆を拾い、猿芝居のように食ったりした。それがまた可笑《おか》しく、一層チャンチャン坊主の憐《あわ》れを増し、見物人を悦《よろこ》ばせた。だが心ある人々は、重吉のために悲しみ、眉《まゆ》をひそめて嘆息し
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