を禁壓した。そしてこの結果、我々の國々には、古來科學が勃興しなかつたのである。單にそればかりでない。文學や藝術でさへも、我々の物には空想力が缺乏し、眞のロマンチツクの要素に乏しい。たまたまさうでなかつたものは、儒教等の影響がすくないところの、別の時代や庶民階級から生れたのである。
 所で今の新日本は、我等がそれを欲すると欲しないとにかかはらず、科學によつて西洋と對立し、發明を爭はなければならないのである。今の時代の教育者は、昔のやうに子供の夢を冷笑し、童話精神を殺戮してはならないのである。逆に彼等の爲すべきことは、子供の夢を涵養し、そのフアンタスチツクのドリームランドに、豐潤な肥料を注ぐことでなければならない。そしてその教育が、彼等を未來の大發明家にし、大科學者にする方法なのだ。もし果して今の子供が、さうした眞の童話精神を喪失し、フアンタジイの夢を持たなくなつてしまつたことから、却つてその種の物への冷笑的態度を示すならば、正に大いに憂ふべき教育上の問題である。肝心の認識は、さうした子供等の傾向が、彼等の知性能力の向上を語る證左でなくて、むしろその知性能力の頽廢を語る證左であるといふこと
前へ 次へ
全11ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング