眞に憂ふべきことは、かうした間ちがへたイデーによつて、子供をより善く教育できると考へ、その眞に「憂ふべき現象」を以て、却つて逆に「悦ばしい現象」と考へてるところの、日本の大人や教育者たちの思想である。
支那、日本等の東洋諸國に於て、古來あまり科學が發達しなかつたのは、勿論他にいろいろの原因もあるだらうが、一つには此等の國々の教育法が、子供の本然する童話精神を善導せず、むしろこれを枯燥させるやうにさへしたからである。小泉八雲は、日本の武士の子供たちが、一もその自然の娯樂を與へられず、むしろ常にこれを抑制され、事々に子供らしさの本然性を矯められてると書いてるが、ひとり日本ばかりでなく、一般に東洋諸國の社會では、その特殊な東洋的封建制と、特に儒教等の現實的功利主義から、概して童話的フアンタジイの夢想を嫌ひ、子供等を大人の世界に順應させて、早く老成人化することに努めて來た。それからして人々は、早くその少年時代に、空を飛翔する鳥人の夢や、自動的に走る車の夢やを忘れてしまつた。彼等の教育者たちは、子供等がその夢を見て居る時に、頭から馬鹿者と呼んで嘲笑し、且つそんな非現實的な空想を、實際に抱くこと
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