ある。
日本の教育者たちは、おそらくこの點で正反對の誤解をしてゐる。思ふに彼等は、子供のフアンタスチツクな童話精神を殺戮し、彼等からその「夢」と「詩」を奪ふことによつて、實に彼等を合理的人間にし、科學的人間に教育し得ると考へてる。かうした思想の馬鹿らしさは、空氣の呼吸を禁ずることで、肺病が豫防できると思ふやうなものである。古來歴史上の大科學者、例へばガリレオや、ワツトや、ニユートンや、エヂソンやが、その少年時代に於て、いかに夢想的な子供であり、いかにフアンタスチツクな童話の愛好者であつたかを、彼等の教育者等は知らないのである。子供の時代に、夢と詩の世界を知らない人間、豐富な童話精神を持たなかつたやうな人間に、偉大な藝術や科學の創造され得る見込みはない。もし現代の日本の子供が、果して或る人々の言ふ如く、本來の童話精神を喪失し、老成人の如く常識家化して居るならば、正にそれは日本文化の虚脱である。こんな子供が大人になつたら、乾からびた侏儒のやうな人間になり、無意味に機械いぢりでもする以外に、何の創造的才能もない小俗物になるであらう。前に自分が「憂ふべき現象」と言つたのはこのことである。だが
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