である。つまり詳しく言へば、彼等は眞の「科學人」となつたのでなくして、實にはむしろ「小理智人」「小常識人」となつたのである。かつて菊池寛氏は某所に於て、今日の如き科學時代には、詩は衰滅の一路をたどるのみだと言つたが、この「科學時代」といふ言葉を、もし菊池氏の主觀に於て、夢を忘れた小常識人や、世渡り上手の小才智人のみが横行する時代、即ち要するに「小常識的俗物時代」といふ意味に解するならば、正にまちがひなく眞理である。さうした頽廢の社會に於ては、單に詩が衰滅するばかりではない、科學も哲學も藝術も、一切の文化が衰滅してしまふのである。
 今日の日本の學校教育は、いたづらに子供を小常識人化し、小才智人化し、チンピラ小學生の侏儒を作ることを以て、究極の目的としてる如く思はれる。かかる教育は、文化の衰滅を招來するところの、憂ふべきデカダンスの教育ではあるけれども、斷じてその健全なる向上を計るものではないのである。



底本:「萩原朔太郎全集 第十一卷」筑摩書房
   1977(昭和52)年8月25日初版第1刷発行
   1987(昭和62)年8月10日補訂版1刷発行
初出:「文藝世紀 創刊號」

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