菊は病み
酢えたる菊はいたみたる。


 悲しい月夜

ぬすつと犬めが
くさつた波止場の月に吠えてゐる
たましひが耳をすますと
陰氣くさい聲をして
黄色い娘たちが合唱してゐる
合唱してゐる
波止場のくらい石垣で。

いつも
なぜおれはこれなんだ
犬よ
青白いふしあはせの犬よ。


 かなしい薄暮

かなしい薄暮になれば
勞働者にて東京市中が滿員なり
それらの憔悴した帽子のかげが
市街《まち》中いちめんにひろがり
あつちの市區でもこつちの市區でも
堅い地面を掘つくりかへす
掘り出して見るならば
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ
重さ五匁ほどもある
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ
それも本所深川あたりの遠方からはじめ
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで
しなびきつた心臟がしやべる[#「しやべる」に傍点]を光らす。


 天路巡歴

おれはかんがへる
おれの長い歴史から
なにをして來たか
なにを學問したか
なにを見て來たか。

いつさいは祕密だ
だがなんて青い顏をした奴らだ
おれの腕にぶらさがつて
蛇のやうにつるんでゐた奴らだ
おれは決して忘れない
おれの長い歴史から

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